〜2022年10月30日部活用コンテンツ〜
今回は世界で唯一、日本にしか存在しない「神様専用の鉄道車輛」のお話です。
今回は世界で唯一、日本にしか存在しない「神様専用の鉄道車輛」のお話です。
今回とりあげる内容は神社好きな者としては大変興味深い事柄なのですが、皆が注目する話題でもないため中途半端な情報も多く全て調べきれたかというとあまり自信はありません。
また、いつも通り文章は全て私の責任で書いていますがさすがに今回は実体験的なものが皆無な話題
なので手元にある書籍資料とネットの情報に自分なりの解釈を加えて構成しています。
※国立公文書館に(本テーマ関連情報の)一切合切が保管されているのは確認しているのですが数が膨大なので今後少しずつ調べて追記していこうと考えています。
1 賢所奉安車という存在
今回取り上げる”神様専用車”は正式名称「賢所奉安車」または「賢所乗御車」と言います。
正しく神霊の乗り物として作られた車両なので表現としては”奉安車”・”乗御車”のどちらでも良いのですが”乗興車”の表現は見たことがありません。
”神霊の乗り物”と言うとイメージしにくいですが有り体に言えば線路を走れる御神輿です。
では何故、それが必要なのか? わざわざ専用の鉄道車輛を作るほどに重要なことだったのか?
…その説明に入る前に「お召列車」と「三種の神器」の2つについて軽く触れておきます。(詳しくは 2 と 3 で再度説明します。)
本題の賢所奉安車については最後の 4 で説明します。
1-1 お召列車 はどんな時に運行されるのか
皇族のうち天皇・皇后・上皇・上皇后・太皇太后・皇太后のお出かけ(行幸・行幸啓・行啓・巡幸)の際に運転される特別臨時列車をお召列車と言います。
日常でお召列車を見る機会はあまりないとは思いますが、御料車側面の菊花紋章(列車の前面には菊花紋章と日章旗を掲揚)は日本の文化を象徴しているようです。

厳密には天皇陛下が公務で地方へ行幸される際に運行されるものをお召列車と言い、ご静養など非公式の場合は厳密にはお召列車と呼ばないそうですが、実際の運行にあたっての鉄道会社側の体制や車両準備・装飾そして沿線警備や規制などはほぼ同等ですからそこはわけて考える必要はなさそうです。
1-2 剣璽等承継の儀で画面に映った 三種の神器
2019年、皇太子徳仁親王が新たな天皇に即位し平成から令和に切り替わりましたが、この時に行われた即位の礼の際に「三種の神器」というワードが何度か出ていたので記憶に新しい方も多いと思います。
- 八咫鏡(やたのかがみ)もしくは神鏡とも呼びます。
- 草薙剣(くさなぎのつるぎ)
- 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)

剣璽等承継の儀のシーン。写真左が八尺瓊勾玉・右が草薙剣
映像で中央に写っている小さな箱は御璽(天皇の印)と国璽(国の印)です。
この場では八咫鏡の継承はされず皇居の賢所で個別に祭儀が行われます。
1-3 八咫鏡の移御
そのため御料車には草薙剣と八尺瓊勾玉を置く奉安室が用意されていましたが、ここで問題となったのが三種の神器のうちの賢所(八咫鏡)の移御です。
あたりまえですが、荷物として通常手段での輸送などとてもできません。
そもそもこわれものシールを貼って扱う”荷物”ではありませんし、それ以前の問題として位階ではなく神階で語られるべき存在の三種の神器のうちでも極めて神聖な八咫鏡なのでそれに見合った移動手段を考える必要がありました。
何れにしろ、たとえ天皇と言えども長い時間同じところに留まることも憚られるため、お召列車の編成の中に神社の本殿を用意し対応することになりました。→

【ちなみに・・・・】
三種の神器のうち、草薙剣と八尺瓊勾玉については賢所奉安車のような特別車輛を用意する必要まではなくこの時は両陛下の隣の車両を剣璽用に割り当てて安置したようです。
20年ぶりに皇居から出た三種の神器ですが、この時の行き先は神鏡(八咫鏡)の本体がある伊勢神宮でした。
2 お召列車
賢所奉安車が必要になった経緯は上の説明の通りですがその運用(実際に八咫鏡の移御を行う際)はお召列車の編成の中への組み込みにより行います。
賢所奉安車が組み込まれた当時のお召編成の写真は見つからなかったですが、昭和中ごろ以降に使用された編成の資料を元にここでは「お召列車」について掘り下げてみます。
2-1 表記について…
細かい話ですが正しい表記は「お召列車」です。
「お召し列車」「御召列車」もちゃんと読めますし日本語ルール上でも特に問題ではないのでこの表記もけっこう見かけますが、宮内庁及び関係機関で交わされる公式文書上では「お召列車」で統一されています。
明治時代から続く送り仮名省略の慣用を伝統として引き継いでいるそうです。
また、車両・車輛の使い分けについては、ここでは比較的新しい車体については車両、古いものは車輛としています。(車両という表記自体は車輛以前より存在しています)
2-2 昭和時代・お召列車運行スタイル
昭和時代と言うより、国鉄時代につくられ平成に入ってからも(2007年に新たなお召車両が新製されるまで)運用されていたものですが、この頃のお召列車・車輛は国が管理する国鉄ならではという感じがします。
2-2-A 客車編成のお召列車
昔のお召列車は機関車が牽引する複数の客車で編成されたものでしたから、賢所奉安車の時代をイメージしやすいという意味ではここで紹介する「客車編成のお召列車」が一番参考になります。
天皇皇后両陛下は一号御料車にその座所がありますが、随行する供奉員(宮内庁・鉄道関係者・警察関係者)がそれぞれ供奉車に乗車します。御料車・供奉車の計五輛編成で運行されますが当然一般の時刻表には載らない秘匿臨時列車で、これが古のお召列車の姿と言えます。
そんなお召列車ですが御料車はその時代で考えられる限りの最高の車輛製造技術・工芸美術の粋を結集して製造されているもので工芸品としても大変貴重なものです。
ここでは1号編成と呼ばれる5輛を紹介しますが現在は何れも保留車としてお召列車専用の車庫に留置されています。
既に定期的な車輌検査など行われていないのでこの編成での出番はもうないと思われます。
※これらが新製された頃は既に八咫鏡移御の必要がなくなっていました。
※大宮の鉄道博物館にはここで紹介しているものより古い歴代5輛の御料車が展示されています。
2-2-B 一般特急電車編成組み込み用御料車・クロ157-1
昭和35年6月に非公式お召用として製造された御料車です。
非公式というのは公務以外の用途・ご静養地への御乗用、そして一般向け特急電車編成に組み込む前提で製造された車両です。
…つまり運用においての簡素化を意図して設計されていることがこの車両の特徴です。
いかにも先頭車っぽいですが運用時は中間車として編成中央付近に組み込まれます。
また形式記号は当初クイの予定でしたが車両完成同年月にあった二等区分改正でクロになりました。
※尚、皇族御乗用電車としては1931年にクロ49形という車輌が製造されています。
当時まだ三等区分の時代ですが、一等を表わす「イ」ではなく二等車である「ロ」で作られているのであくまで日常の足(御料車ではなく貴賓車カテゴリー)用途なんだと思います。
主に軍籍を持つ皇族の横須賀軍港への往復や葉山御用邸への足などで使われていたそうです。
2-2-C 〜1970年代までのお召新幹線
遠方への行幸などでの新幹線お召運用は新幹線開業当時からありましたが、現在のような一般運用車の使用ではなく外観の化粧やインテリアの一部改造などが施されていました。
新幹線の場合は一般車の流用…と、さすがに上の 2-2-A と 2-2-B で紹介しているような特注車ではないので車内の造りに大きな改造は施していませんが、せめてものインテリアとして一部の座席を撤去、スペースを確保した上で絨毯を敷きそこにテーブル・新たな座席を設置したそうです。
これら御料車・供奉車に充てられる車両は新幹線編成中の5両です。
2-3 平成以降・お召列車運行スタイル
平成に新製された車両ではJR東日本のE655系(E655-1)がありますがJR東が作ったこの列車で行けるのはあくまでもJR線区電化区間に限定されます。
映像で中央に写っている小さな箱は御璽(天皇の印)と国璽(国の印)です。
この場では八咫鏡の継承はされず皇居の賢所で個別に祭儀が行われます。
1-3 八咫鏡の移御
- 大嘗祭:新嘗祭のうち新天皇が即位後に最初に行うもの言う
そのため御料車には草薙剣と八尺瓊勾玉を置く奉安室が用意されていましたが、ここで問題となったのが三種の神器のうちの賢所(八咫鏡)の移御です。
あたりまえですが、荷物として通常手段での輸送などとてもできません。
そもそもこわれものシールを貼って扱う”荷物”ではありませんし、それ以前の問題として位階ではなく神階で語られるべき存在の三種の神器のうちでも極めて神聖な八咫鏡なのでそれに見合った移動手段を考える必要がありました。
何れにしろ、たとえ天皇と言えども長い時間同じところに留まることも憚られるため、お召列車の編成の中に神社の本殿を用意し対応することになりました。→
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そして作られたのが賢所奉安車です。 |

【ちなみに・・・・】
三種の神器のうち、草薙剣と八尺瓊勾玉については賢所奉安車のような特別車輛を用意する必要まではなくこの時は両陛下の隣の車両を剣璽用に割り当てて安置したようです。
20年ぶりに皇居から出た三種の神器ですが、この時の行き先は神鏡(八咫鏡)の本体がある伊勢神宮でした。
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近鉄しまかぜを利用する(八咫鏡を除く)2つの神器 |
- 八咫鏡の本体は伊勢神宮内宮に奉安されていて、皇居の八咫鏡は形代です。
- 天叢雲剣の本体は 熱田神宮に祀られていますが、皇居にあるものは形代です。
- 形代というのは本体(御神体)から御霊移ししたものです。
- 八尺瓊勾玉は形代はなく皇居にあるものが本体です。
- 御料車(車版)であるセンチュリーロイヤル後部座席には、八尺瓊勾玉と天叢雲剣を安置するための台座が設置できるようになっているそうです。
2 お召列車
賢所奉安車が必要になった経緯は上の説明の通りですがその運用(実際に八咫鏡の移御を行う際)はお召列車の編成の中への組み込みにより行います。
賢所奉安車が組み込まれた当時のお召編成の写真は見つからなかったですが、昭和中ごろ以降に使用された編成の資料を元にここでは「お召列車」について掘り下げてみます。
- お召列車はその性質から特別に用意・運行される列車という認識で間違いはありませんが、その姿も時代とともに変化していきました。
- お召列車は1872年から運転されていて、かつては年間数千kmが普通だったそうです。
- お召列車運行の際は、その少し前方に指導列車(露払い列車)を走らせています。
- 御料車は天皇・皇后が御乗用する車両のことで編成全体は指しません。
2-1 表記について…
細かい話ですが正しい表記は「お召列車」です。
「お召し列車」「御召列車」もちゃんと読めますし日本語ルール上でも特に問題ではないのでこの表記もけっこう見かけますが、宮内庁及び関係機関で交わされる公式文書上では「お召列車」で統一されています。
明治時代から続く送り仮名省略の慣用を伝統として引き継いでいるそうです。
また、車両・車輛の使い分けについては、ここでは比較的新しい車体については車両、古いものは車輛としています。(車両という表記自体は車輛以前より存在しています)
2-2 昭和時代・お召列車運行スタイル
昭和時代と言うより、国鉄時代につくられ平成に入ってからも(2007年に新たなお召車両が新製されるまで)運用されていたものですが、この頃のお召列車・車輛は国が管理する国鉄ならではという感じがします。
2-2-A 客車編成のお召列車
昔のお召列車は機関車が牽引する複数の客車で編成されたものでしたから、賢所奉安車の時代をイメージしやすいという意味ではここで紹介する「客車編成のお召列車」が一番参考になります。
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一号御料車 |
天皇皇后両陛下は一号御料車にその座所がありますが、随行する供奉員(宮内庁・鉄道関係者・警察関係者)がそれぞれ供奉車に乗車します。御料車・供奉車の計五輛編成で運行されますが当然一般の時刻表には載らない秘匿臨時列車で、これが古のお召列車の姿と言えます。
そんなお召列車ですが御料車はその時代で考えられる限りの最高の車輛製造技術・工芸美術の粋を結集して製造されているもので工芸品としても大変貴重なものです。
ここでは1号編成と呼ばれる5輛を紹介しますが現在は何れも保留車としてお召列車専用の車庫に留置されています。
既に定期的な車輌検査など行われていないのでこの編成での出番はもうないと思われます。
1号御料車(三代目) |
330号(1等供奉車) |
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340号(1・2等供奉車) | 461号(2・3等荷物緩急車 / 車端) |
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460号(2・3等荷物緩急電源車 / 車端) | |
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引用元©鉄道ファン |
※大宮の鉄道博物館にはここで紹介しているものより古い歴代5輛の御料車が展示されています。
2-2-B 一般特急電車編成組み込み用御料車・クロ157-1
昭和35年6月に非公式お召用として製造された御料車です。
非公式というのは公務以外の用途・ご静養地への御乗用、そして一般向け特急電車編成に組み込む前提で製造された車両です。
…つまり運用においての簡素化を意図して設計されていることがこの車両の特徴です。
いかにも先頭車っぽいですが運用時は中間車として編成中央付近に組み込まれます。
また形式記号は当初クイの予定でしたが車両完成同年月にあった二等区分改正でクロになりました。
- イ:一等車(二等区分の際に廃止・現在はクルーズトレインの一部で復活しています)
- ロ:二等車(現在のグリーン車相当)
- ハ:三等車(現在の普通車相当)
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引用元©鉄道ファン ←車両中央にある御座所の様子 窓の向こうに湘南色が見えるので古い撮影だと思います。 引用元©歳ももう時期ゴハチ 様(既にアカウントなし) |
当時まだ三等区分の時代ですが、一等を表わす「イ」ではなく二等車である「ロ」で作られているのであくまで日常の足(御料車ではなく貴賓車カテゴリー)用途なんだと思います。
主に軍籍を持つ皇族の横須賀軍港への往復や葉山御用邸への足などで使われていたそうです。
2-2-C 〜1970年代までのお召新幹線
遠方への行幸などでの新幹線お召運用は新幹線開業当時からありましたが、現在のような一般運用車の使用ではなく外観の化粧やインテリアの一部改造などが施されていました。
新幹線の場合は一般車の流用…と、さすがに上の 2-2-A と 2-2-B で紹介しているような特注車ではないので車内の造りに大きな改造は施していませんが、せめてものインテリアとして一部の座席を撤去、スペースを確保した上で絨毯を敷きそこにテーブル・新たな座席を設置したそうです。
これら御料車・供奉車に充てられる車両は新幹線編成中の5両です。
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![]() 引用元©鉄道ファン |
2-3 平成以降・お召列車運行スタイル
平成に新製された車両ではJR東日本のE655系(E655-1)がありますがJR東が作ったこの列車で行けるのはあくまでもJR線区電化区間に限定されます。

引用元©乗りものニュース
新製されたこのE655系はお召専用というわけではなく一般旅客向けツアーにも使用され、「なごみ」の愛称で運転されます。
但しその際は当然ながら御料車であるE655-1を抜いた編成で運行されます。
一般向けを意識されてはいたものの最初の頃は大人の休日倶楽部専用の運用だったためメンバー規約的に利用できるのは男女とも満50歳以上という縛りが存在しました。
このE655以外にも遠方の場合は新幹線を使用しますし、JR西では”サロンカーなにわ”がお召し運用されることもあります。でも何れにしてもJR線区の走行になります。
そのため、JR各社の路線から外れた土地の場合や利便性の面から私鉄も選択肢に含まれます。
JR以外の鉄道会社で過去にお召運用に使用されたもの(一例)
こういう一般列車の利用促進に対し、一方では原宿駅にある宮廷ホームの使用を避けるようになってきていますが、これは国民の日常生活の妨げや余計な予算を使うことを危惧された上皇陛下のご意向があったからそうです。
3 三種の神器
「三種の神器」と呼び方が固定される以前(720年頃)は三種宝物・三神・三ケ宝物など複数の呼び方があったようですが、その頃にはまだ「神器」という表現が一般的に定着していなかったから…という理由のようです。
3-1 三種の神器・概要
剣璽(宝剣と宝玉)と賢所(八咫鏡または神鏡)の三点を三種の神器と言います。
その三種の神器は神道の象徴的な儀式に彩られ皇位を象徴する神宝として存在しますが、最高の皇室儀礼である即位の礼でさえ用意されるものは形代…俗な表現で言えばレプリカですがこの表現は少し違います。(位牌をお墓のレプリカだと言う人がいないのと同じですね)
本体から御霊移しされた神の依代で天皇ですらその姿を目にすることができません。
※八尺瓊勾玉は形代ではなく本体。
3-2 三種の神器・神と天皇のつながり
先ずは天照大神・三種の神器と天皇のつながりを簡潔にまとめると…
このように神〜人間へと連なる話なので『神話』そのものなのですが、言い伝えや魂の宿り方・接し方を尊重するのが神道ですし各地にある神社の存在・参拝する人々の姿がそれを証明しています。
尚、地上に降りる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に持たされた三種の神器のうち特に八咫鏡については「この鏡は私を見るがごとくに祀れ」と付け加えられているので八咫鏡=天照大神の霊代という解釈になります。
3-3 三種の神器(形代)
・・・ずっと後の時代の話は次の通りです。これは史実として記録されているものです。
ここで登場する三種の神器は八咫鏡(形代)・ 草薙剣(形代)・八尺瓊勾玉(本体)です。
但しその際は当然ながら御料車であるE655-1を抜いた編成で運行されます。
一般向けを意識されてはいたものの最初の頃は大人の休日倶楽部専用の運用だったためメンバー規約的に利用できるのは男女とも満50歳以上という縛りが存在しました。
このE655以外にも遠方の場合は新幹線を使用しますし、JR西では”サロンカーなにわ”がお召し運用されることもあります。でも何れにしてもJR線区の走行になります。
そのため、JR各社の路線から外れた土地の場合や利便性の面から私鉄も選択肢に含まれます。
JR以外の鉄道会社で過去にお召運用に使用されたもの(一例)
- 近畿日本鉄道アーバンライナー・しまかぜ
- 神戸電鉄3000系
- つくばエクスプレスTX2000系
- 埼玉新都市交通のニューシャトル2000形
こういう一般列車の利用促進に対し、一方では原宿駅にある宮廷ホームの使用を避けるようになってきていますが、これは国民の日常生活の妨げや余計な予算を使うことを危惧された上皇陛下のご意向があったからそうです。
3 三種の神器
「三種の神器」と呼び方が固定される以前(720年頃)は三種宝物・三神・三ケ宝物など複数の呼び方があったようですが、その頃にはまだ「神器」という表現が一般的に定着していなかったから…という理由のようです。
3-1 三種の神器・概要
剣璽(宝剣と宝玉)と賢所(八咫鏡または神鏡)の三点を三種の神器と言います。
その三種の神器は神道の象徴的な儀式に彩られ皇位を象徴する神宝として存在しますが、最高の皇室儀礼である即位の礼でさえ用意されるものは形代…俗な表現で言えばレプリカですがこの表現は少し違います。(位牌をお墓のレプリカだと言う人がいないのと同じですね)
本体から御霊移しされた神の依代で天皇ですらその姿を目にすることができません。
※八尺瓊勾玉は形代ではなく本体。

- 賢所:八咫鏡(神鏡とも言います)
- 剣璽:草薙剣(天叢雲剣とも言います)
- 剣璽:八尺瓊勾玉(璽とも言います)
3-2 三種の神器・神と天皇のつながり
先ずは天照大神・三種の神器と天皇のつながりを簡潔にまとめると…
- 天照大神…の孫、瓊瓊杵尊が天界から地上に降りる時に渡されたものが三種の神器
- 瓊瓊杵尊の曾孫が神武天皇(初代天皇)
このように神〜人間へと連なる話なので『神話』そのものなのですが、言い伝えや魂の宿り方・接し方を尊重するのが神道ですし各地にある神社の存在・参拝する人々の姿がそれを証明しています。
尚、地上に降りる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に持たされた三種の神器のうち特に八咫鏡については「この鏡は私を見るがごとくに祀れ」と付け加えられているので八咫鏡=天照大神の霊代という解釈になります。
【大切に守られてきた伝承ですが神話であることも知っておいて下さい】
40代・天武天皇によって神々の序列化(現在の伊勢神宮の立ち位置も含めて)が行われそれと同時に古事記が作られていったそうなので、この神話が生まれたのは実際にはおおよそ西暦710年頃だと思われます。 |
・・・ずっと後の時代の話は次の通りです。これは史実として記録されているものです。
ここで登場する三種の神器は八咫鏡(形代)・ 草薙剣(形代)・八尺瓊勾玉(本体)です。
- 草薙剣と八尺瓊勾玉は安徳天皇の自決とともに壇ノ浦(関門海峡)に沈みますが八尺瓊勾玉は数日後に浜に打ち上げられているのが発見されています。
- 草薙剣は沈んだままでついに発見されなかったようですが熱田神宮にある本体から御霊移しを行い、それによって新しい形代がつくられました。
- 八咫鏡(形代)はその時の船上に残されたままだったという説と一度沈んだものが引き上げられたという2つの説があります。
- 安徳天皇の入水による自決は1185年4月25日
※形代は厳密に言えばレプリカや複製とは異なり本物と同等です。
身近な存在に例えると位牌のようなものです。
■ 現実の話として・・・
三種の神器のうちの八咫の鏡だけは力が強大です。
その昔3社を巡り鎮められていたようですが災いがおさまることはなく現在の今伊勢神宮でやっと落ち着いたという経緯があります。
これは、戒めとして誇張し伝承されているのかと言うと決してそうではなく現実として式年遷宮を欠かすとその災い振り戻しがあります。
その強大な力は今も健在らしくたとえ天皇陛下が望まれても安易に賢所から動かすことができる代物ではありません。
3-4 日本の骨格
全国各地に存在するお寺や神社にはどんな意味があるのか?
初詣にお墓参りに…と、神や仏に祈ったりご先祖さまを意識しているにも関わらず無宗教を標榜する私達ですが、色々ごちゃ混ぜなのに安定を見せるバランスの良さこそが日本人らしいと感じます。
験担ぎもなどもそうですがおさえるトコロはおさえておく…そんな感じですね。
ですから神話レベルの話であっても大切に伝承として受け継がれてきたんだと思います。
三種の神器に纏わる話は確かに神話からスタートしていますが天皇と直接関わりのあるお話です。
普段私達の日常生活で天皇を意識することは殆どありませんが三種の神器との関係を見ていくと日本が国家として存在するにおいて両者とも想像以上に大きな意味と役割を持っていることがわかってきます。
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三種の神器は日本の屋台骨でもあり象徴です。 |
3-5 枝話
本題から少し外れるので枝話として切り離しておきますが、以前メディアが女性天皇・女系天皇うまく説明できていないケースが散見されたので、この際ですから知っておくべき要点をまとめておきます。
ポイント -----------------------------------------------------------------------
- 女性天皇:皇統に属する内親王で天皇に即位された方が女性天皇。
- 女系天皇:皇位を継承した女性天皇から出生した親王・内親王で次の皇位継承者として皇位に即位された方
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【とても重要なこと】 神々から直系の子孫に代々伝えられているものが三種の神器ですが、ここで”直系の子孫”が指している系譜が今も続いている神武朝です。 ※日本の歴史上、女性天皇(女帝)は8人います。 ※女性天皇が誕生するケースの場合、幼い男系男子が成長するまでのつなぎ的な存在となります。 ※フェミニストが騒ぐジェンダー問題のような単純な話ではありません。 【今も残る世界で一番古い国は… 日本です】 ■ 古い国…というくくりでは紀元前3100年のエジプトを筆頭に紀元前2000年の中国、紀元前1500年のインドなどいくつかあります。 ですが、それらは全て途中で王朝が崩壊または体制が変わりその都度仕切り直しされているので国名が同じだけで全く別のものです。 ■ それに対して日本は西暦2022年の今年で皇紀2682年。 たとえ古事記を考慮せず史実として記録のある26代 継体天皇・507年(皇紀1167年)3月3日〜 で、数えても…今年2022年で1515年目に入っている王朝です。 ■ 何れにしても同じ王朝が続いている日本が世界最古の国であることは国際的にも認められていてギネス認定されています。 |
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女系天皇の容認 = 神武朝の終焉を意味します! |
■ 女系天皇になっても母親側から皇族の血が受け継がれるので遺伝子レベルでは問題ないのでは?と思われるかもしれませんが日本国での王朝継承はやはりそこで終了となります。
■ 根本的な話なのですが、そもそも神社の神様の祀り方には男系祭祀・女系祭祀・それ以外の3つがあって皇室は男系祭祀です。
■ 血と王朝の継承という大切な部分を緩く考えている方の多くは知ってか知らずかここに足を踏み入れてて論理破綻していることが多いのですが、ここまで来ると皇室の在り方ではなく神道そのものへの無配慮・無知蒙昧・あるいは否定となりジェンダー問題云々は的外れな感情論にすぎないことがわかります。
■ ですからこれに対しては…今迄2700年近くやってきた日本の文化だからとしか言えません。
それでも尚、態度を変えない相手は感情論を口にしていたことに気付き意固地になっている・全くの無関心・無知に気付いてない・本気で日本の文化破壊を目論んでいる相手…のどれかです。
4 本題・賢所奉安車(賢所乗御車)
- 賢所:八咫鏡のことです。神鏡とも言います。
- 奉安:尊いものを安置奉ること。
- 乗御:尊い存在が乗る(神霊が身を預ける…的な意味も持ちます)
- 奉舁:神霊の乗り物を担ぐ事。…つまり神輿を担ぐこと。

賢所奉安車は神様(神霊)専用の乗り物です。さしあたり神輿の列車版・もしくは動く神社本殿…というイメージで捉えればいいと思います。
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賢所奉安車は「列車版お神輿」…みたいなもの |
4-1 賢所奉安車が製造された理由・経緯
その賢所奉安車がわざわざ造られた理由ですが、こう考えるとわかりやすいです。
〜神社は日本に80000社以上が存在しますがその最上位にある伊勢神宮 皇大神宮内宮にて天照大御神の霊代として祀られている八咫鏡(…の形代)
天照大御神と言えば日本人の大御祖神とされている存在。その移御が並の扱いで良いわけがありません。
天照大御神と言えば日本人の大御祖神とされている存在。その移御が並の扱いで良いわけがありません。
【豆知識:神社の本殿とは】 参拝でお辞儀・手を打ち鳴らす場所(本坪鈴や賽銭箱が置かれてるところ)が拝殿でその奥に本殿があります。 拝殿・本殿が一つの社になっている構造(つまり本殿が独立した社ではない)では、拝殿の後ろに出っ張り程度に…という感じになっていてこのスタイルも普通に見かけます。(リンク先は2つともGoogleマップ) 何れにせよ本殿にその神社の御神体が祀られています。 |
4-2 賢所奉安車の誕生 から 廃止まで
御大礼(主に即位の礼)は最高の皇室儀礼にあたりますが、この時に皇位を象徴する神宝である三種の神器が必要となります。
上の方でも説明している通り、三種の神器のうち剣璽の2つの移御はそれほど問題がありませんが賢所(八咫鏡)の移御については話が別で慎重に検討する必要が生じます。
1912年(明治45年)7月30日、明治天皇の崩御により皇位継承した大正天皇の即位式(1915年11月10日)が京都御所で行われることとなりました。
御大礼の場に賢所がない…など想定されていませんから、皇居に安置されている賢所八咫鏡を京都まで移御する手段が必要となり専用車輛が製造されました。
それがこの賢所奉安車(賢所乗御車)です。
年数を見て分かる通り製造後すでに100年以上が経過しています。

4-2-A 賢所奉安車の製造にあたって…
この車輛を設計/製造するにあたって八咫鏡のサイズと重量を調べる必要がありましたが、皇室が最も崇敬する神器ですから一般人は目にすること自体が憚られます。
とは言っても「不手際により賢所の移御が不可能と判明!」…のようなトラブルは決して許されないのでサイズのみは調査されています。
但し重量を量ることだけは最後まで許可が下りませんでした。
そのため、過去の記録にあった東京奠都の際に『八瀬童子16人の若者達が賢所御羽車を奉舁し東海道を上った際に重さに汗をかいた』…よりおおよその重量が推定されました。

4-2-B 参考:賢所御羽車 〜御即位式・京都停車場-皇宮間の鹵簿〜
- 御羽車:賢所の移御に用いる神輿型の神具。(賢所用の御神輿と考えれば良い)
- 移奉:尊い存在を別の場所へ移しまつる…お移りし申し上げるという意味。
- 移御:神霊・天皇などの移動。移動過程・移動手段を示すニュアンス。
- 奉舁:神霊の乗り物(御羽車・神輿)を担ぐこと。
- 鹵簿:行幸・行啓の行列。
- 八瀬童子:天皇家催事雑役を専属的にこなす人々・神輿の担ぎ手。
- 京都停車場:二代目京都駅
下の写真は「簿鹵間宮皇場車停都京式位即御 御進御前寺願本東 車羽御所賢」となってます。
つまりこれは京都停車場で賢所奉安車から賢所御羽車へ移奉、京都御所へ向かう鹵簿の様子です。
賢所御羽車を奉舁する八瀬童子たち。(資料では16人で奉舁となっています)
またこの時、賢所御羽車が進御する沿道の全ての街路樹・電柱の根元に白砂を撒いて清めたと記されているのですが、賢所移御の際の一般道利用や大衆の目にさらされることがいかに畏れ多く厳粛なことだったのかがわかります。
4-2-C 賢所奉安車の廃止
その後1947年5月3日の新典範にて「即位式を京都で行う」という一文が削除され平成以降の即位式は東京の皇居で行われるようになりましたが、これは賢所の移御が不要になったことを意味します。
つまり実際に使用されたのは大正天皇即位御大礼・昭和天皇即位御大礼の東京〜京都往復のみです。
その後1959年(昭和34年)10月に車籍抹消・廃車となり現在は品川区にあるJR東日本東京総合車両センター・御料車庫に保管されています。
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賢所奉安車は現在使用されていません。 |
4-3 賢所の乗御
賢所奉安車への乗御…つまり積み込みの様子をSecond Life内で再現・動画化してみました。
資料から読み取れなかった部分・ギミックの一部は想像で作っていますから雰囲気のみの参考として下さい。
動画尺:1分42秒
5 日本の歴史です
時代ごとに存在した多くの人々が自身の立場で何を考え何を思いカタチを残してきたのか…その積み重ねが歴史と呼べるものになっていると考えると面白いですね。
今回は「賢所奉安車がつくられた目的」ただ、それだけの話題だったのですが…関係している事柄が想像以上に多くまとめあげるのにかなり苦労しました。
また、日常生活ではあまり意識することのない天皇陛下と三種の神器ですけれど、間違いなく今年で皇紀2682年を数える現在の日本の姿を形作ってきた存在で国の根幹そのものです。
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